«月夜の名探偵ツキヨさん☆»

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第三話

第2の盗難事件が起きる数時間前、月夜家に、単身赴任中の星空氏から電話がかかってきた。

「お父さん、ウチのそばでな~、ヘンなドロボウが出たんやってぇ~!」

「えっ?!イチロウ、ウチは大丈夫やったんか?!」

兄弟は、受話器を奪いあった。

「お父さん、そのドロボウ、怪盗キッドみたいに、“stm”って書いた紙を置いていったんやってぇー!」

「キッド??……ジロウ、またコナンかぁ…。」

兄が受話器を取り戻した。

「お父さん、“stm”って何やと思う~?」

(おっ!イチロウ、ええ質問!) ツキヨは思わず、耳をそばだてた。

しかし…

「そりゃイチロウ、アレだ。“スベった ツッコミ モウヤメテ~!!”…や。」

「「そんなアホなーーーっっっ!!!」」

二人で仲よく受話器を耳に近づけて、大笑いする兄弟の反応に、ツキヨはため息をついた。

(またアホなギャグ、言ったみたいね…。)

「ほんならイチロウは、何やと思たんや?」

「ん~、ん~、 “サシミ トンカツ もっと食べた~い!!”」

(イチロウ、食べ過ぎやあ。)

「ハハハ…イチロウらしいな!ジロウは?」

受話器が兄から弟に渡される。

「え~とね~、 “スーパー テクニカル マジシャン?”」

「…ジロウ、なんかオマエ、すごすぎるな…。」

(ジロウはキッドファンだからなぁ~。

…うん、やっぱり何かを略したんだろうな。)

5才児の発言に、何かを考え込むツキヨだった。

 ☆

翌朝、aniki室長から一報を受けたツキヨは、第2の盗難事件で、公民館の看板が 発見された公園へ、向かう事となった。

家を出たツキヨは、歩きながらふと思いつき、途中の商店街にある、“みゃぎこ造形教室”に立ち寄った。

ジロウが週1回、楽しみに通っているところだ。

インターホンを押すと、すぐに“ハイ”と反応があった。

「みゃぎこさん、おはようございます。ツキヨです。」

「まぁ!」

という声が、インターホン越しに聞こえ、
「ツキヨさん!お久しぶり」

という声が、廊下を走る音と共に響き、
「です!!」

という声と共に玄関の扉が開いて、みゃぎこの顔が飛び出してきた。

みゃぎこは、何かをしながら、別の事をするタイプである。

苦笑しながら、ツキヨは切り出した。

「今日は、東山くん、お時間あるかしら?」

ツキヨは久しぶりに、頼りになるみゃぎこの弟、東山を現場に連れて行こうと思ったのだった。

「もちろんです!!少年助手東山は、ツキヨさんのお呼びがかかれば、いつでもOKですよ!」

声が大きい二人のやりとりは、奥に居ても十分聞こえたので、東山はすぐに支度を整え、玄関に出てきた。

「じゃ、姉さん、行って参ります!」

「東山くんを、お借りします。」

「いってらっしゃ~~い!“真実はいつも一つ”よ~っ!」

みゃぎこの声が、商店街に響いた。

 ☆

ツキヨたちが公園に着くと、そこには誰もいなかった。

警察は、前回と同じく型どおりの捜査だけで引き上げていた。

証拠の看板は、公民館に戻すためか、すでに警察に持ち去られていた。

と、ツキヨは、聞き覚えのある声に呼び止められた。

「ツキヨさ~~ん!こんにちは~!お散歩ですか~?」

「…ああ、Qきちさん、こんにちは。いえ、ちょっと…。」

Qきちは、かまわずにまくし立てる。

「私、この街に来て間もないので、お散歩して、いろいろ見て回っているんです~! とってもキレイな、いい街ですね~!それじゃ~また~!!」

言いたい事だけ言うと、Qきちはサッサと歩いて行ってしまった。

「どなたですか?にぎやかな方ですね。」

という東山の問いにツキヨは、

「最近越して来た、Qきちさんっていう方よ。」

と、ため息をついた。

ツキヨは、自分勝手にしゃべりまくるQきちに、ややウンザリしていた。

「それより…」

と今度は事件の話をしながら、二人は、胡難大学のkitatomy教授のもとへと向かった。

 ☆

コンコン★
「こんにちは~♪教授、いらっしゃる?」

「あ、こんにちはツキヨさん。奥にどうぞ。」

助手の卓にうながされ、ツキヨは、研究室の奥にある、パーテーションで仕切られた教授室に入っていった。

東山は研究室内に残り、隅のイスにちょこんと座った。

が、見知らぬ人物を認めて、あわてて立ち上がった。

「あの、はじめまして。僕、東山と言います。ツキヨさんのお供で参りました。」

「あ、どうも……aithemathです。…ツキヨさんて?」

「えーと…」

東山が口ごもると、卓が助け舟を出した。

「ツキヨさんは教授のお客さんで、なんかよく相談に来るんだ。

…キミ、コーヒー持ってってくれる?」

卓に言われ、aithemathは教授室にコーヒーを持っていった。

人の気配を感じ、ツキヨとkitatomyはそれとなく話すのを止めたが、 aithemathは二人の会話が、明らかにkitatomyの専門分野(数学)の 話ではないことに気づいた。

aithemathが部屋を出たと同時に、ツキヨの声が聞こえた。

「教授、“stm”が次に現れるのは、いつ、どこだと思われます?」

aithemathはちょっと驚いた表情をしたが、卓は全く無表情で自分の仕事を続け、 東山は、そんな二人をじっと見つめていた。

東山の視線に気づいたaithemathは、窓際の鉢植えに、水をやり始めた。

30分程で会談は終わり、ツキヨと東山は、そのまま帰宅した。

その日、kitatomy教授とaithemathは定時に帰り、卓は、遅くまで研究室に残った。

 ★

教授たちが帰宅した1時間後、stmは、メールを交わしていた。

|今回は、急いだ方が良いようですね‥‥


数時間後、ひと仕事終えたstmは、あまりに疲れたのか、自室に戻るなり、倒れ込むように朝まで眠ってしまった。

 ☆

翌朝、第3の盗難事件が発覚した。

市が管理する文化財の古民家の、いろりのすすけた竹の天井棚が外され、古民家の前で発見されたのだ。

そして、今回もやはり、“stm”のカードが添えられていた。

警察は、相変わらずイタズラとしか見ていないので、警戒も手薄な中での犯行であった。

 ☆

「まさか続けて起きるとは、ねぇ~…」

aniki室長から連絡を受けたツキヨは、また東山を連れ、すぐに現場に向かった。

既に警察は引き上げたあとだったが、今度は盗られた物が、そのままそこに置いてあった。

ツキヨは静かに考え始め、東山は邪魔にならないよう、周囲を観察していた。

(一体全体、なんでこんな物を?)

(こんな真っ黒にすすけた物を、わざわざ取って、放り出して。)

(ムリに外したので、元に戻せやしない。)

(そう思って警察も、放置したんだろう。)

(私に見せるよう、市長から指示が来て、置いてったのかな?)

(……でも、これ…戻せないんじゃ、捨てるしかないかな?)

(誰が?……私が?!)

そこまで考えて、ツキヨがウンザリしていると、Qきちが自転車で通りかかった。

「ツキヨさ~~ん!よくお会いしますね~~!」

ツキヨはちょっと焦った。

(調査していると思われると、困る!)

言葉に詰まっているツキヨを無視して、Qきちは続けた。

「うわ!何ですかソレ?
真っ黒け!あっ!ツキヨさん!汚れますよ!!
私、自転車ですから、ウチのそばのゴミ捨て場に捨てておきますよ!
透明袋でいいんですよね!!」

ツキヨはあわてた。

「えっ?あっ、すみません、いえ、これは…あの、Qきちさんも汚れますよ!竹のトゲも…」

「だ~いじょ~ぶ!いつも汚い格好だし~。

それじゃ~また~~!!」

あっという間にゴミを持ち去ったQきちを、ボーゼンと見送るツキヨに、東山はおずおずと声をかけた。

「いいんですか?ツキヨさん…」

「警察も要らないと判断したみたいだし…まぁ、大丈夫なんじゃないかな?」

ここで見るべき物がなくなった二人は、警察に寄り、今までの3件の“stm”のカードを見せてもらい、2、3質問して帰宅した。

 ☆

翌日の深夜、第4の盗難事件が起きた。

胡難大学の敷地内の、ステンレス製の側溝のフタが盗まれたのだ。被害金額は、100万円近い。

そしてそのかたわらには、今までとは違う紙と字体で書かれた“stm”のカードが置かれていたのだった…。

第四話

第4の“stm”盗難事件が起きた事を、aniki室長からのメールで知ったツキヨは、違和感を覚えた。

それまでの、無意味に思える盗難品と違って、明らかに皆が価値を知っている物(=ステンレス)を盗んで行ったからだ。

一時、ニュースで連日、金属の盗難が報じられていたのだが、

“stm”のカードが置かれていなければ、今回の事件はまさにその一例でしかなかった。

(これまでの事件がダミーで、本当の目的は、ステンレスだったの?)

どうにも納得できないツキヨは、東山を連れて、警察署へと向かった。

そして、担当刑事に、第4のカードを見せてもらった。

「違う…」

ツキヨがつぶやいたのを、刑事も東山も聞き逃さなかった。

「私も、この事件は、今までの“stm”とは違う、模倣犯だと考えています。そして、これは、イタズラではありません。」

刑事は、これは自分が捜査すべき事件であると、ツキヨに告げた。

ツキヨは頷いて、東山と共に警察署をあとにした。

そして、その足で二人は、市役所へと向かった。

 ☆

その頃市役所では、昼休みを取りながら、秘書室のmandarina、調査室ののえるととし、総務課のいのしし、の仲良し同期4人組が、“stm”について話し合っていた。

☆↓のえるさんの原稿です☆

休憩時間も半分を過ぎたころ、社員食堂では、仲良し同期4人組が窓際のテーブルで昼食をとっていた。

「何したいんだろ、『stm』って人…。」

まるでその場に一人しかいないような口ぶりでのえるは呟き、また黙りこくった。

「もう、のえる、あなたって話を遮る天才…」

しょうがないな…と少し笑みを浮かべてmandarinaがいった。

いつものことだと気にもせず、いのししが興味津々にのえるの呟きに乗ってきた。

「でも確かに気になるわね~、あの事件。最初に盗まれたのが…えっと、何だったっけ?」

タクト、と最後のミニトマトを口にほおばる前に、さらりと答えたのはとしだ。

「タクト。2回目が看板、3回目が天井枠で、4回目がマンホール」

「さすが、とし!3回目までこんなもの盗んで何するの~って感じなのに、4回目は、お金になりそうなマンホール。

犯人の意図が全然わからないわ。どう思う、mandarina?」

「そうね…うーん、3回目まではカモフラージュで、実は金目の物盗むのが狙い…とか?」

「そんなことなら、別にカモフラージュする必要ないよ。最初からマンホール盗めばいいだけし。」

「そうよね…。しかも大学になんて入らなくたって、そこらへんにいくらでもマンホールはあるしね…。」

少しの沈黙のあと、またさらりととしが続けた。

「盗みを働いた場所は、全部、市に関係してるところばかりね。市に対して何か言いたいことがあるのかしら?」

「…もしかして、盗んだ場所じゃなくって、物を置いて行った場所に意味があるとか?」

今までぼーっとしていたのえるが、唐突に話に入ってきた。

「どんな意味?」

「……そこまではわかんない。いつものなんとなくってやつ。ははは」

「もう、あなたって…」

「ごめん!でも、stmってほんとは何だろ?人の名前かな?それとも、何かのメッセージかな?」

「半導体関係で確かstmって言葉があったと思うけど、たぶんまったく関係ないわね」

「とし、あんた、そんなことよく知ってるわね。…stmか~…。市に対して何か言いたいことがあるとしたら…」

考えにふけったいのししの言葉に続けるようにのえるが言った。

「…『死んでも…、戻ってくるから…』、………あ~、『t』が思いつかない…」

「……もう、のえる、2文字目が『t』よ。しかも市に何にも関係ないじゃない。何、そのセリフみたいな…。」

「あれ、いつの間に…。それじゃ…」

mandarinaに指摘をうけ、のえるもまた自分の世界に入って行った。

黙りこくった3人を、としが現実に引き戻した。

「…そろそろ戻りましょうか、もう10分前よ。化粧直しするわよね。続きはまた、明日話しましょ。」

☆↑のえるさん、ありがとうございました!☆

 ☆

市役所に着くと、ツキヨと東山は、まっすぐ調査室に向かった。

あいにくaniki室長は不在で、昼休みを終えたのえるととしの二人だけだった。

ツキヨが“どうしよう”と迷っていると、ピアノ教室でいっしょだったのえるが、声をかけてくれた。

「室長から、ツキヨさんにご協力するよう言われておりますから、何でもおっしゃってください!」

ツキヨは、“すみません”とちょっと頭を下げて、二人に2つの事を調べてくれるよう頼んだ。


1、“stm”と略せる意味のある言葉
2、今まで盗まれた物は、本当に無価値なのか?


メモを取ったとしは、

「調べてみます。」

と短く言って、早速調べ始めてくれた。


次にツキヨと東山は、秘書室に向かった。

市長とマム室長は外出していたので、mandarinaに、市長の帰庁時刻をたずねると、

「市長から、ツキヨさんがおいでになったら、何でもご協力するようにと、きびしく言われているんですよ!」

と、ここでも行き届いた対応をされ、ツキヨは、本当にありがたく思った。

改めてツキヨは、mandarinaにたずねた。

「先月の事件のあと、市長について、何か問い合わせがありませんでした?」

ツキヨは、市長がターゲットであるという線も、確認しておきたかった。

mandarinaは、大判の手帳を広げ、よどみなく答えた。

「問い合わせは週に3~4件ありますが、新聞社や業界紙など、いつもの担当の方ばかりです。

…そういえば、初めてのミニコミ誌の方が一件ありました。」

ツキヨは、ピンときて身を乗り出した。

「どんな問い合わせでした?」

mandarinaは、手帳と自分の記憶を1つ1つ確かめるように、慎重に言葉を選んで話し出した。

「確か…“市長はこの市のご出身ですね?”から始まって、趣味の事、 そう、“ピアノがたいへんお上手なようですが、市長が通われたのは、 あの有名な胡難ピアノ教室ですよね。今回、弊誌でも、このピアノ教室を、 取り上げようと思いまして”とか… そういえば…ツキヨさんものえるさんも、市長と同じ胡難ピアノ教室でしたよね? …なんだかお話の面白い方だったんで、つい、いろいろ話がはずんじゃいました!」

ツキヨは、mandarinaの最後のセリフがあまり耳に入らなかった。

そして急に、自分の周りの空気が冷たくなったような気がした。

(やはり市長が!誰かに探られている?)

(何のために?一連の事件と、どんな関係があるの?)

今のところ、市長にも、調べている自分たちにも、危害を加えられそうな予兆はない。

しかし、用心するに越した事はないだろう。


不安に思いながら、最後にツキヨと東山は総務課に行き、小学校のPTAで顔見知りのいのししに、ある人物の住民票について、内緒で調べてもらった。

いのししは、二度三度と確認してくれたが、ついに言った。

「ありませんね、ツキヨさん。その方は、当市に住民票はありません。」

「ありがとうございました…。」

なんとなくモヤモヤとしたものが、ツキヨの頭の中に形作られはじめた。

そして、何かひらめきそうになって、ハッと顔を上げた瞬間、ツキヨは連日のハードワークにクラッとめまいがして、体が揺れた。

「ツキヨさん!大丈夫ですか!?」

今日はお供に徹していた東山が、即座にツキヨを支えた。

「大丈夫よ。ありがとう、東山くん。

…最後は胡難大学よ。教授にアポ取ってあるから。さ、行きましょう。」

ツキヨが、いったん口にしたら、止めてもムダな事を知っている東山は、ツキヨをいつでも支えられる位置で歩き出した。

 ☆

夕闇せまるkitatomy教授の研究室は、構内で盗難事件があったとは思えないほど 、いつもと変わらない静けさだった。

教授の度量の大きさと、温厚な性格が現れているのだろう。

ツキヨは心底ありがたいと思った。

そしてツキヨは、いつものように奥の教授室に通され、東山は研究室内に残った。

☆↓kitatomyさんの原稿です☆

「教授~、お久しぶりです。」

「何をおっしゃるんですか、ツキヨさん、この前、家内の誕生日パーティーの時、我が家でお会いしたばかりじゃないですか?」

「あ、そうでした、そうでした、私ったら、この暑さで頭がパーになったのかしら。
もうめちゃめちゃ楽しかったですよー♪教授の奥様って、私の思っていた通り、
知的で優雅で素敵な方ですね…お子様もみんな賢そうで、礼儀正しいし、
模範的な御家庭だと思いますよ…それに…」

「ツキヨさん、ツキヨさん、そんな照れくさい話をするために来た訳じゃないでしょうに…要件はstmのことですよね。」

「まあ、教授ったら、照れ屋さんなんだから。でも、要の話をするのを忘れたら たいへんだわ。
そうですよ、教授!いったい何が起こっているとお考えですか?」

「うーん、推理するには、まだデータ不足なんですよ。
ただ言えるのは、タクトや看板は権威あるものの象徴でしょうから、それを盗って、植え込みの端に突き 刺したり、すべり台の上から突き落とすぞみたいな感じで、たぶん市長に対する 挑戦状でしょう。」

「まあ、怖い!市長の身に危険が迫っているということですか」

「いや、ツキヨさん、謎のstmは子供みたいな人物でしょうから世間を騒がすイタズラをして、美しい市長さんの困った顔を見たいだけでしょう」

「し、失礼します」

助手のaithemathがコーヒーを運んできた。

ツキヨとkitatomyはそれとなく話すのを止めた。

(どうして私を除け者みたいな目で、みんな見るんだろう!ツキヨさんて何者だ?あ あ、イヤだイヤだ!何だって卓は、わたしを小間使いみたいにしやがって)

aithemathが心の中でつぶやきながら部屋を出たと同時に、ツキヨの声が聞こえた。

「教授、stmが次に現れるのは、いつ、どこだと思われます?」

「いやあ、データ不足でわからないんですよ。そもそもstmの意味もさっぱり見当がつかない!やっぱり、名前を表していると考えるのが妥当かなー…atmだったらうちの研究室にもいますけどね。
でも、ツキヨさん、stmは誰かに利用されているだけかもしれませんよ。」

「あ、やっぱり、そうですか。

私もそう思っていたんです。

どうも、ある人の言葉が気になっていて…」

ツキヨとkitatomyの声が急に小さくなった…。

「じゃあ、教授、お忙しいところありがとうございました。
そうそう、娘さんハリポタのファンなんですね」

「そうなんです。最終巻は二人で小遣い出し合って買ったのですが、私も読んでます、おかげで寝不足で…フワァ…し、失礼。」

「まあ、全く教授ほど幸せなお父さんはいませんよ…」

☆↑kitatomyさんありがとうございました☆

ツキヨを待つ間、東山は見るともなく、卓とaithemathを見ていた。

二人は会話をする事もなく、黙々と自分の作業をしていた。

と、aithemathが壁掛け時計を見上げ、サッサと帰り支度を始めた。そして、 「お先に…」

とだけつぶやいて、研究室から出て行った。

「卓さん、aithemathさんって無口な方ですね。」

と東山が話しかけると、パソコンのモニターを見つめながら卓は、

「ああ…この間ここに入ってきたんだけど、ずっとあんな調子だよ。
いつも定時に帰るし、オレたちと飲みにも行かないし…」

「卓さんは飲み過ぎじゃないかって、Barぢーぞーのマスター、ぢーぞーさんが心 配してましたよ!」

卓はモニターから目を離し、あわてて東山に言った。

「バッ、バーロ!あっ!いやっ(汗)…それ、教授にはナイショな!…いつも心配 されてるんだ…。」

だんだん声が小さくなる卓に、ふふっと笑って東山は立ち上がり、室内を歩き始めた。

窓際の鉢植えを眺めてから、流しで水でも飲もうと足を動かしたその時、東山は、床のスミにある物を見つけた。

「この黒いのは…」

数学科の研究室にあまり関係なさそうな、黒い汚れ。

しかし東山は、最近これとよく似たものを、別の場所で見かけた記憶があった。

 ★

|これで最後ですよ‥‥

|もう、ムリだと思います…

第五話

「卓さん、この部屋毎日掃除してますか?」

東山の質問に、卓はなぜかうろたえた。

「えっ?!えーと、オレとaithemathさんの二人で、交代でやってるんだけど、…ちょっとここんとこ、コレの追い込みで忙しくってさ…。」

と、自分のパソコンを叩く真似をして、卓は照れた笑いを浮かべた。

「aithemathさんも、あんまりちゃんと掃除してないかも?」

卓は適当に言っているだけだと東山は思ったが、今回は、ズボラな二人のおかげで物証が得られるかも…と、やや興奮して、東山は重ねて卓にたずねた。

「卓さん、この部屋に最近、いつもと違う人が入りましたか?」

「え?ツキヨさんとキミ以外は、来ていないと思うよ?
例のステンレスの盗難事件でも、警察はここには来なかったみたいだし。」

東山は、卓の言葉に満足し、念を押すように、力を込めて言った。

「卓さん、この部屋、絶対に掃除しないでくださいね!」

…と、教授室のドアが開き、ツキヨが出てきた。

「教授、ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。」

「早く事件が解決するといいですね。でないと、ツキヨさんの方が先に倒れちゃいますよ。」

kitatomy教授は、顔色の悪いツキヨの事を心配して、卓には聞こえないよう、小さな声でツキヨに囁いた。

「ありがとうございます!もう少しで、わかりそうな気がするんです!」

ツキヨは、教授の言葉に鼻の奥がツーンとしたのを悟られないよう、つとめて元気にふるまい、東山と研究室をあとにした。

帰り道、東山は、それまで見た事聞いた事を、正確に再現してツキヨに話して聞かせた。

ツキヨは、黙ってそれを聞いていた。

その時突然、東山のケータイに、メールの着信音が鳴り響いた。

「姉さんだ…えっ?Barぢーぞーに来い?ツキヨさんも?…ボクをいくつだと思ってるんだ、姉さんは…。」

東山は、ブツブツ言いながら、驚くべき速さで返信した。

「“ボクは行くけど、ツキヨさんは疲れてるからダメ”と。」

すぐにみゃぎこからまた返信があったが、東山は今度は無視し、ひとりごちた。

「何でかだって?…わけなんているのかよ?」

ツキヨは、自分が姉弟ゲンカのタネになったと思い、申し訳なさそうに言った。

「東山くん、私やったら大丈夫やよ?」

「ダメですっ!!ご自分の顔を、鏡でご覧になってくださいっ!!」

なんとかツキヨを自宅に送り届けた東山は、急いで商店街のBarぢーぞーに向かった。

 ☆

東山が、Barぢーぞーの重そうな木製のドアを開けると、落ち着いた趣味の良い店内に、落ち着きとは無縁の騒々しい一団が、すぐ目に入った。

「姉さん。」

「あ、東山、遅かったね。
今、みんなで、今度の事件の事話し合ってたんだよ!ツキヨさんにも、話しを聞きたかったのになぁ~。」

みゃぎこが残念そうに言った。

「東山くん、かなり疲れているみたいだね。
ハイ、ハチミツとレモンと…隠し味入りだよ!」

マスターのぢーぞーが、未成年の東山のために、ソフトドリンクを作ってくれた。

「ありがとうございます。

うわ!おいしくて、スパイシー!」

ぢーぞーは、東山を人々の輪の中に入れ、さっきからの話しを再び始めた。

☆↓東山さんの原稿です☆

東山「プハーッ! ひと仕事終わった後は、やっぱりこれに限るね~☆
   ぢーぞーさん、もう一杯っ!!」

みゃぎこ「こらっ! お子ちゃまが調子に乗るんじゃないの★
     だいたい、あなたが飲んでいるのって、単なるココナッツ・ジュースじゃない!
     そんな台詞は、いっぱしにお酒が飲めるようになってから言ってよね~♪
     ぢーぞーさん、私、ピニャ・コラーダお願いします!」

東山「姉さんこそ、子どもっぽいじゃないか。大きい声を出して!
   『Bar.ぢーぞー』の大人の雰囲気がコ・ワ・レ・ルッ!!」

みゃぎこ「何を言っているの?!
     保護監督者の私がいなければ、こちらの敷居もまたげない身分のくせに!
     あなたこそ、早く帰って歯を磨いて寝なさい★」

ぢーぞー「はいはい、そこまで! ウチにとっては二人とも大事なごひいきさん♪
     ゆっくりしていってね! はい、ココナッツ・ジュースとピニャ・コラーダ。」

みゃぎこ&東山「ぢーぞーさん、どうもありがとう♪」

kei「こちらのお店は、明るい会話が弾んでいいですね。私、大好きですよ♪」

ご本のオバちゃん「本当に! 誰でも御座れっていう、オープンな雰囲気が落ち着きますね~!」

Qきち「新参者には有難いですっ☆ 皆さん、どうぞよろしく♪」

東山「あっ、見て見てっ! 今からオリンピック柔道の決勝戦が始まるよ!!
   ん~?? 日本の選手の背中に付いている『JPN』って、なあに?」

kei「選手のゼッケンに書かれている「JPN」ね。
  あれは「Japan」を表している略語なの。
  JとPとNの間に「a」がかくれんぼしているのよ。
  国名は、つづりの全てを表記してしまうと長くなってしまうので、
  「a、i、u、e、o」などの『母音』を省略して、
  パッと見てすぐ分かるように、工夫してあるのよ。」

東山「そうなんだ~! 僕、学校で最近、ローマ字を習ったんだよ♪
   ローマ字って、「k、s、t、n」などに
   「a、i、u、e、o」がついてできているんだよね!」

みゃぎこ「あらっ、珍しくよく勉強してあるじゃないっ!!
     ローマ字は、「あいうえお」と「ん」以外は、
    「子音」+「母音」で表記するのよね。」

東山「例えばさぁ、今話題の「stm」が母音の省略されたものだとすると
   『s』は、「さ・し・す・せ・そ」、『t』は、「た・ち・つ・て・と」、
   『m』は、「ま・み・む・め・も」のどれかってことじゃない?
   その組み合わせで、何か言葉を見つけられないかなぁ??」

ぢーぞー「その組み合わせでできそうな日本語と言えば、
    …さささ、『さつま』、ししし、『したみ』。他にはあるかな??」

Qきち「『さつま』と言えば、薩摩藩! 今、NHKでやっている連続大河ドラマの主人公、○姫の出身地が「薩摩」だったわね!!」

東山「『satsuma』っと。書いてみたんだけど、これで合ってる??
   う~ん、「薩摩藩」の『さつま』以外にも、『satsuma』には、何か意味があったような気がするんだけど…。」

ぢーぞー「…そうだっ、思い出した!!
     アメリカでは、「温州みかん」のことを『satsuma』って呼ぶよ。」

東山「すごいっ☆ 『satsuma』には「みかん」って意味があったなんて!
   僕、柑橘類の中で、やっぱりみかんが大好き♪
   ところで、柑橘類といえば、
   みかんの仲間の果物で、お話の名前になっているものがあったよねっ!」

ご本のオバちゃん「本のことは私に任せてっ♪
           大正14年、「青空」に発表された、梶井基次郎の『檸檬』でしょ!!
         ちょうど大学生ぐらいの青年が主人公でね。「えたいの知れない不吉な塊」に心を圧迫されている主人公が、町にある大好きなものを眺めて、現実の自分自身を見失おうとする。
         でも、一所にいられなくて町をさ迷い歩くの。その中で、果物屋の1つの檸檬と出会う。
         お話の最後に、その檸檬を丸善書店の画集の上に、まるで爆弾でもセットするかのように置いてくるのよ。
         普通の感覚では理解しがたい行動だけど、主人公の「私」は、そうすることによって不吉な塊が氷解して行くのを感じた…というところで、お話はお終い。
         青春の心象風景を詩的に描出した、短編小説の秀作ね!!」

みゃぎこ「『檸檬』を爆弾に見立てて現場に置いてくるというところが、
    今回の事件と類似していると言えば、言えなくもない…かぁ。
    『stm(みかん)』のカードを爆弾に見立てて…。
    でも、『檸檬』の模倣犯なら、最初から現場にレモンを置いてこればよいのよ!
    考えが飛躍しすぎじゃない??」

kei「爆弾、爆風…。
  「省略」といえば、日本語を略したものとは限らないのではないかしら?
  『stm』がアルファベットであるということから、英語の略したものという可能性も!
  例えば、昨年度に5年生を担任した時のことなのですが、
  夏休みの自由研究に『世界の天気記号』を調べてきた児童がいて。
  その中に「stm」が、確か…。そうっ!! 暴風雨☆   Stormを略して『stm』! 「暴風雨」や「嵐」という意味でしたわっ!!」

東山「嵐、怖いね★ 第2、第3の事件で、看板や棚が外れて壊れていたのは、「嵐」が来たことを表していたのかも!
   でも、第1の事件では、物は壊れていなかったような?」

kei「確かに! タクトは無傷で帰ってきたわ。
  すると、犯人は、壊すことが目的ではないのかも。
  何か、もっと違ったメッセージ性を感じるわね。」

ぢーぞー「stormは名詞だけでなく、動詞もある。意味はいろいろあるが…、荒れ狂う、激怒する、あと、とりでや町などを攻略するという意味も…。」

みゃぎこ「今回の事件に関係のある場所として、市役所、公民館、公園、市が管理している文化財の古民家、そして胡難大学。
     全て「胡難市」管理下の施設。この共通項を併せて考えると、「市」への挑戦的なメッセージを強く感じるわ。」

全員「う~ん…。」

みゃぎこ「省略は、何も1単語にばかり行うことでもないんじゃない?『stm』がメッセージというのなら、
     複数の単語で短文を構成している可能性がある。略語は略語でも、単語の頭文字の集合体として考えてみたらどうかしら?」

ご本のオバちゃん「『stm』…、“Short-Term Memory”で、『短期記憶』という意味だけれど…。
         何かしっくりこないわね。う~ん、きっと「檸檬」みたいに、ドカーンとびっくりさせるような意味の言葉じゃないかしら?」

ぢーぞー「驚くべきこと、意外なこと、びっくりさせること。そんな意味の英単語に『surprise』があるわね。
     この単語には他に、「不意の贈り物」、「不意討ち」、「奇襲」という意味も…。
    『stm』…、例えば、“Surprise(s) To M”で、「Mさんへのサプライズ・プレゼント」という意味にもなるけれど。
    『M』には誰が当てはまりそう??」

みゃぎこ「“Surprise To M”、“Surprise To Mayor”…、まさか、市長に向けてのサプライズ?」

ご本のオバちゃん「すごい! 『stm』のできあがり☆」

kei「事件に関係する場所がすべて「市」につながりがあることを踏まえると、『Mayor』でつじつまが合いそうっ!
  若い女性市長、ワオさんへの抗議かしら。
  「若い女性」市長へ反感をもちやすいと言えば、「中年や年配」の「男性」を思い浮かべるのだけれど…。
  しかし、これらの事件はサプライズ性は強いものの、その中に『こうしてほしい』という明確な要求がないように思えて。
  「中年や年配」の「男性」がこれほどのリスクを負ってまで犯行を重ねてきているのであったら、要求をはっきりと文章にして書き置くぐらいのことはしそうなものなのに。
  どうも、犯人像に「中年または年配の男性」は重ならないわ。
  …もっと、若い、例えば「檸檬」に登場するような…」

ご本のオバちゃん「青年?」

みゃぎこ「確か、4つ目の事件は「胡難大学」で起こっていたわね。
     大学と言うところは、大学生にはチェックが甘いけれど、それ以外の年齢層にはきっちりチェックを入れるところ!
     部外者の中年の男性がそうやすやすと入れるものではない。
     もしかして、犯人は大学生??まっ、まさか「胡難大学」の学生による、内部犯行ってことも…。」

東山「あっ(汗)!!」

みゃぎこ「(この子、自分の口を押さえたりなんかしてっ! 何か知っているわね…。)」

ぢーぞー「around twenty…」

kei「いろいろな壁にぶつかっては、乗り越えなくてはならない時期。
  すべてのものに反抗心むき出しだった高校生のころとは少し違って、あの頃は、いろいろなものを冷静に見つめ、折り合いをつけ始める頃。
  その中でありのままの自分を見付け、受け入れていく。
  でも、それがうまくいかないことも多い。ときに、全てのものに大きく反発してしまいたくなることも…。
  2つの間で、まるでらせんを描くように行ったり来たり。今回の犯行には、そういった不安定さを強く感じてならないのです。」

ぢーぞー「“Surprise(s) To M”、…『Majority』?」

みゃぎこ「“Surprise To Majority.”
     つまり、自分自身を「Minority」=「少数派」として、不特定の『大多数』に向けて、何かメッセージを発しているということ?」

kei「「不特定」というのは行き過ぎで、この「『胡難市』の大多数の人たち」に対してのものかもしれない。
  現に、犯行はすべて「胡難市」とつながりがある。つまり、「胡難市民」への『サプライズ』、つまり『揺さぶり』なのではないかしら。
  あと、もう1つ。『Majority』で思い浮かべるのは…。」

ぢーぞー「『成年』、つまり『大人』。」

みゃぎこ「『Majority』:成年、大人。『Minority』:未成年、子ども。つまり、今回のサプライズは『大人』への揺さぶりってこと?
     確かに、盗んだものを人目の着く所に置いてみたり、暗号のようなサインを残していったり…。
     まるで、『大人』を試している『子ども』のよう…。
     とりあえず、「胡難市」に関係する『大多数』または『大人』に向けての“プレゼント”なわけね。何て、厄介なプレゼントなの(笑)?」

東山「話は変わっちゃうけれど、僕ねぇ、変だなって思うことがあるんだぁ。
   第1~第3の事件は、1人でもやってやれないこともない犯行なのに、
   第4の事件は1人ではまずできそうにないよ。一体、どういうことだろうね??」

ご本のオバちゃん「大学の側溝の蓋が盗まれた事件でしょ? 被害総額が100万円近いそうじゃない!!
         う~ん、果たして蓋はいくつ盗まれたのかしら?」

ぢーぞー「金属製の側溝の蓋は「グレーチング」っていうんだけど、ステンレスのものだと、1つが2万5千円~5万円するらしいのよ。
     仮に、1つ5万円としても、20個。2万5千円だと、40個。1つが17~20kgあるから、盗みだした蓋の合計重量は、相当のものよ。
     1人で遠くまで運び出すのは、無理だわ。数人がグルになっていると考えた方が自然ね。」

Qきち「「グレーチング」って言うんですね! すごい☆
   初めて知りました。とっても身近なものなのにね。」

ぢーぞー「知らない人の方が大多数だと思いますよ。
     私の場合は、店舗を構えるにあたって必要だったから。
     普通の人は、何度となく踏み越えていくけれど、目もくれないものですよね。
     縁の下の力持ちってところかしら(笑)。
     でも、こんな蓋も人が道を安全に往来するにあたってなくてはならないもの。
     たくさんの人に価値を認められていなくても、大切なものってたくさんあるものですね。」

ご本のオバちゃん「タクトも、看板も、天井棚も…。ねっ!」

kei「お金には換えられない、思い出、愛着♪」

みゃぎこさん「そんな大切なものに手を掛けるなんて、なんて腹立たしいのかしらっ!!
       でも、それに込められたメッセージがあるなら、私は知りたい。『胡難市民』、『大人』である前に、一人の人間として…!!」

☆↑東山さん、ありがとうございました☆

「ふわ~~あ」

東山が一つ大きなアクビをしたのをキッカケに、そろそろみんな引き上げようか、という声があがり始めた。

最後の方は、ただの雑談でしかなかったので、みんな異論はなかった。

東山は、妙に冴えている頭と疲れきった体で家路を急いだ。

そして、翌日も行動を共にする予定のツキヨさんは、ちゃんと回復しているかしらと、そればかりを心配しつつ、眠りについた。

 ☆

翌朝東山は、待ち合わせ場所に現れたツキヨの、いつもと変わらぬ顔を見てホッとした。

そんな東山の安堵した顔を見て、ツキヨはイタズラっぽく言った。

「夕べの私の顔、ホントにヒドかったな。

子どもたちが私の顔を見て、お化けでも見たように、キャーーッて言うねん!嫌になるわ!」

東山は、今日も元気なツキヨのお供をできる事がうれしくて、大きな声で笑ったあと、
夕べのBarぢーぞーでの会話を簡潔にまとめて、ツキヨに教えた。

ツキヨは東山に、2、3質問すると少し考え込んだ。

それから二人は話し合いながらバスに乗ると、市役所へと向かった。

 ☆

市役所の調査室では、のえるととしが厚みのある封筒を用意して、二人を待っていてくれた。

「ツキヨさん、ご依頼の調べものです。けっこう量ありますよ。大丈夫ですか?」

ツキヨは、市役所のロゴ入りのA4サイズ封筒を、としから受け取りながら答えた。

「大丈夫ですよ!それよりとしさん、のえるさん、本当にありがとうございました。短い時間で、大変だったやろ?

としは、のえると顔を見合わせて、クスッと笑いながら言った。

「のえるさんと分担したので、そうでもないですよ!普段、室長から言われる仕事より、ずーっと面白かったですよ~!」

全員でひとしきり笑ったあと、のえるが思い出したように言った。

「そういえばツキヨさん、“盗難品の価値”の方なんですけど、これは材質は何でした?それによって、だいぶ違うみたいなんです。」

ツキヨは、受け取った封筒から、のえるに言われた部分の資料を取り出した。

一覧になっている“材質”名と、その価値をだいたいの金額で表したものを、下へ下へと追っていったツキヨの目は、ある一点で動かなくなった。

“価値”は、それを作るのにかかる費用が書いてあったのだが、その材質には備考欄が付け加えられ、ビックリするような金額が書き込まれていた。

ツキヨは、動悸が速くなった。

「そうか……、そうやったんか……!」

ツキヨは、のえるととしに上の空でお礼を言いながら、調査室を飛び出した。

東山は、ツキヨが置きっぱなしにした資料入りの封筒をしっかりと抱え、調査室の二人にぺこりと頭を下げて、あわててツキヨのあとを追った。

 ☆

「ごめんなさい!ツキヨです!アポ無しでごめんやけど、教授、今、いてるかな?」

ツキヨと東山は、息をはずませて、kitatomy教授の研究室に飛び込んだ。

「ツキヨさん?珍しいですね、アポ無しとは。
残念ながら教授はちょっと出てますが、もうすぐ戻ると思います。」

卓が、相変わらずパソコンとにらめっこをしながら、答えた。

「aithemathさんもお留守ですか?」

東山が、キョロキョロと室内を見回しながら、卓に聞いた。

「ああ…aithemathさんも一緒。

…どうぞそのへんに座ってて…コーヒーもセルフでいいですか?」

東山は、百面相をしながらパソコンに向かっている卓のそばに行って、画面を覗き込んだ。

「卓さん、いつも忙しそうですが、今日はいつもと違うみたいですね?なんですかコレ、詩?」

「うわ~~~!!!ひ、東山クン、見ちゃった??…いやあ~今度の大学の広報誌に、何か寄稿するよう頼まれちゃってさ~、ホトホト困ってたところに、この紙を拾ってさあ~…」

卓は、汗をふきふき、A4を二つ折りにした紙を、広げて見せた。

「詩ですか?あっ!aithemathって書いてある!卓さん他人のをパクろうとしたん だ~!い~っけないんだあ~!」

「ばっ!ちがっ!ちょっとだけ参考にしてだな…(汗)」

楽しそうな卓と東山の声につられて、ツキヨもその“紙”を覗きに来た。

(aithemathさんの詩)



「ふ~ん、aithemathさんが書いたんや。なんだか寂しいような、優しいような、 哀しいような感じの詩やねえ…。
へえ…aithemathって、こう書くんやね…。
ai the math…
aiを取って、sにして、略したら…stm…?
aiがなくなって…愛をなくして?…」

ツキヨは、ハッと顔を上げると、市役所の封筒から、“stm”の意味を調べてもらった厚い資料を取り出し、すごい勢いで、“s”の項を読み始めた。

「…やっぱりこれかな?…“solitary…孤独な”か…
そうか…そういう事やったんかあ…全てが…つながったわあ!」

ツキヨは、小さく叫んだ。

東山は、そんなツキヨをジッと見つめ、次に自分がすべき事を、必死に考えた。

「ただいま戻りましたっと。…おや、ツキヨさん、東山くん、いらっしゃい。」

kitatomy教授が、ほがらかに研究室に帰って来た。

aithemathは無表情だったが、ツキヨに見つめられている事に気づき、ちょっと目を泳がせた。

教授は、ニコニコしながら卓に言った。

「卓くん、今日はちょっといいコーヒーが飲みたいのでね、ぢーぞーさんに出前、お願いしてくれる?東山くんは、ソフトドリンクかな?」

東山は、教授と卓に向かって“ハイ”とニッコリうなずき、その顔のまま、aithemath に話しかけた。

「aithemathさん、卓さんったらいけないんですよ!aithemathさんが紙に書かれた詩を拾って、広報誌に投稿しようとしているんですって!」

「あっ!いや!だから違うって!そのままじゃなくてさ…!」

卓があわてている以上に、aithemathの顔色が変わった。

「失くしたと…思っていた…読んだんですか…」

それまで、aithemathをずっと観察していたツキヨが、つと、前に出た。

ツキヨのただならぬ雰囲気に、一同は自然と口を閉じ、ツキヨを見守った。


「aithemathさん。

あなたが……“stm”やったんやね」

第六話前編

研究室は、時が止まったかのように、シーーーンとしてしまった。

皆がaithemathを見ていた。

「…なぜ、そう思うんですか?」

静寂を破り、ツキヨに向かってしぼりだすように、aithemathが言った。

「そうですね…」

ツキヨは言葉を選びながら、自身の推理を話し始めた。

「この“盗難”とも言えないような、奇妙な連続盗難事件は、まず、悪意があま り感じられないんです。
警察も、イタズラだと思って本腰を入れないので、次の仕事がやりやすいという わけです。
第1のタクトの事件は、市役所の植え込みの端に差してあったんですよね? 植えてある植物に影響がないように…」

「aithemathさんは、窓際の鉢植えを大切にお世話していました。」

東山が口をはさんだ。

ツキヨは、aithemathから目を離さずに言った。

「ありがとう、東山くん。
…aithemathさん、あなたは植物を大切にする、やさしい人だわ。」

ツキヨが“やさしい”と言ったとき、aithemathの顔が、わずかに苦しそうにゆが んだ。

「次は公民館の看板。発見されたのは公園。
みんな“市”が管理するところばかりなんです。
当然、事件のことは、市長の耳に入ります。
しかし、さっきも言ったように、警察は大して動きません。
でも若い市長は、“市に対するいやがらせか?”と心配になって、なんとか調べようとするでしょう。
そういうとき、市長がどういう行動をとるかと言えば、内密で誰かに調査を依頼するしかないんです。
市の職員を使うと、警察を信用してないみたいに思われるから、ダメ。
市長と個人的なつながりがあって、今までに、そういう調査をしたことがある人 に、絞られます。」
それまで、黙って下を向いて聞いていたaithemathが、初めて顔を上げた。
何かを言いたそうに2、3回口を開きかけたが、結局何も言わずに口を閉じ、また下を向いてしまった。

「まいどありがとうございま~す!Barぢーぞーのコーヒーの出前で~……ス…?」

突然ノックの音と共にドアが開き、ぢーぞーが入って来た。

しかし、室内の異様な雰囲気に気づき、ぢーぞーは即座に口をつぐんだ。

東山が、つとぢーぞーに近づき、事のあらましを耳打ちした。

ぢーぞーは、あまりの驚きに目を見はり、aithemathを凝視した。

東山は、“そうだ、今のうちに…”と気がついて、顔見知りになった刑事にすぐに来てくれるよう、小声で電話した。

空気が落ち着いたところで、ツキヨは続けた。

「3件目の古民家。これも、市が管理するものでした。

真っ黒けのいろりの天井棚がはずされ、外に放り出されていました。
これだけは元に戻せず、通りかかったおばさんが、ゴミ捨てに行ってくれたんで す。
ただ…この真っ黒けのススとよく似たものが、この部屋の隅で発見されたのよね ?東山くん。」

ツキヨは、相変わらずaithemathから視線を外さずに、東山に声をかけた。

「ハイ。窓際の鉢植えを見て、移動しようとしたときに気がつきました。」

「鑑識の方に照合していただくまではわからないけど、たぶん“stm”が盗んだものと、この床のススは、一致すると思います。」

ぢーぞーが、急に口をはさんだ。

「いろりの天井棚は、捨てられてしまったんじゃないんですか?」

ツキヨは、ホッとリラックスしたようにチラッとぢーぞーを見てから、またaithemathに視線を戻して言った。

「ちょっと強引なはずし方だったので、元の場所にいくらか残骸が残っているんです。それと照合できると思います。」

「はあ~あ、なるほど~~?」

ぢーぞーが気の抜けたような声でつぶやいた。

「あの時は…急いでて……」

柔らかくなった空気に押されたのか、ついにaithemathが口を開いた。

全員がハッと息をのみ、aithemathを見た。

「ちょっと乱暴に、天井棚をはずしました。…ていねいに扱うように言われてい たのに…。
それに、すごく疲れたので、家に帰ってすぐに寝てしまった…。
朝にはシャワーも浴びたんだけど、…靴か何かに…ススがくっついていたのかも …しれない…。」

aithemathは、ツキヨと床を交互に見ながら、一気に言った。

「aithemathさん、今、“言われていたのに”と言いましたよね?…誰に言われた の?」

ツキヨは、ここがポイントだとばかりに、身を乗り出してaithemathに聞いた。

aithemathはもう、何も隠すつもりはないようだった。

「…私のブログに来てくれた人です。顔も本名もわかりません。
…実は私、以前ツキヨさんがバス停で、高校生に注意するところを見たんです。
それで、そのことをブログに書いたら、初めて書き込んでくれた人がいて…
あんまりコメントもらえないブログだったから、うれしくて、その人とメールするようになったら、……その人が突然、ブログを閉鎖するように言ったんです。」

ツキヨは、よくわからないながら、驚いて聞いた。

「あなたは、そのとおりに従ったの?」

「はい…。」

「なんでなん?」

ツキヨの質問に今度は、aithemathは下を向いて唇をかみ、黙り込んでしまった。


しばらく静寂が続いた時、研究室のドアが控えめにノックされ、顔見知りの刑事が入って来た。

kitatomy教授は、東山に紹介されたその刑事と静かな声で挨拶し、再び視線をツキヨとaithemathに戻した。

東山は刑事に、ここまでの概要を小声で的確に説明した。

刑事も、驚いた様子だった。


「……私は……」

ついにaithemathが、意を決したように、自ら語り始めた。

皆、まだ下を向いたままのaithemathを見つめた。

「…私は…、あの人の言う通りにやっただけです。
それに、あの人は、大した罪にはならないから大丈夫だと言っていました。
警察は、どうせイタズラだと思って本気で捜査しないから、捕まらないって! …それから、市長を刺激すれば、きっと彼女が調査に出てくるから…って…」

「彼女って…」

ツキヨが虚をつかれたように、aithemathに聞いた。

aithemathは、ちょっと顔を上げて、うれしそうにツキヨを見た。

「ツキヨさん、あなたですよ。」

「「えっ……!?」」

ツキヨと東山は、同時に小さくつぶやいた。

そして東山は気がついた。

「そうか。市長を調べたのは、ツキヨさんとのつながりを、確認するためだった んだ…。」

ツキヨも東山と同時に、市長ではなく自分がターゲットだったと気づき、やや混乱しながらaithemathに質問した。

「…なんでなん?私が調査に出てくることが何か…?」

とまどっているツキヨを見るのがよほどうれしいのか、aithemathは饒舌にしゃべ り出した。

「さっきも言ったように、バス停でツキヨさんが、高校生たちに注意しているの を見て、私はありえないと思ったんです。自分に関係ないのに!仕返しされ るかもしれないのに!バカじゃないのか?って…。
…でも、ブログにそう書き込んだら、あの人に…Xと名乗る人に…言われたんです 。」

「X…」

初めて名前が出た影の人物のことを、刑事は急いでメモした。

「…“あなたも彼女に、注意されたいのではないですか?”…って…。
…そう言われて初めて気がついたんですが…図星でした。」

aithemathは素直に告白し、うなだれていた。

ツキヨは、とまどいながらも、重ねて聞いた。

「それで、Xはあなたに、“注意されるために”何をしろと言ったの?」

「Xが言う物を盗んで、指定した場所に置くように言われました。
“stm”……は、私のHNだったのですが、そう書いたカードを毎回置けば、
警察は同一犯と見るけど、イタズラだと思ってちゃんと捜査しないって…。
でも、私は、本当に、そんなにたいしたことじゃないと思っていたんです。
こんな騒ぎになるなんて、思ってなかったし、……
…本当に、…あなたに追いかけて来て欲しかっただけなんです…。

私と向き合って、私に注意して、私だけに話しかけて欲しかっただけなんです…。」

aithemathは一気にまくしたてたあと、つき物が落ちたようにぽつりと言った。

「ネットの中にしか話し相手いないし、寂しくて、一人ぽっちで、……生きる意味なんてないし……私なんて生きてても……」

「違う!違う!違う!」

ツキヨは思わず声を荒げた。

「何言ってるのよ!まだ、そんなに若いのに!ちょっとしか生きてないのに!
何もかも、これからやん!ちゃんと気持ちが通じる人に会えるよ!
あったかい気持ちになれるよ。
aithemathさんから、心を開いて!ぶつかってみて!
…ああ、生きてて良かったなぁって思うことなんか、これから経験するんやでぇ、
あなたみたいに、やさしい青年が、幸せになれへんわけないやん!!」

aithemathは目を見開いて、ツキヨを見つめた。そして満足そうにうなずいた。

「ツキヨさんが、教授のお客さんとして来られて、偶然お会いできて、
飛び上がるほどうれしかったんです。
…Xにのせられて、あんなことしなければ良かった…。
…私は、進んで行く道が見えなかったんです。
結局何をしてもムダなんじゃないかって…。
でも、あなたの行動を見て、気持ちが変わりました。
だから、私がしたことを見て、あなたが何て言うか、聞きたかったんです…。
…もっと早く、違った形であなたとお会いしたかった…。」

aithemathは、ほとんど涙声になっていた。

ぢーぞーが、ぽつりと言った。

「aithemathさん…。“人生の、究極の目的は、生きること”っていう、禅問答みたいなことを言う人もいます。…生きるために、生きてみてください。」

kitatomy教授も、一人言のようにつぶやいた。

「ディスコミュニケーションの克服…。独りよがりな考えに陥っても、ほんの少しでも他の人とふれあえば、問題は解決することが多いんです。」


「“stm”は、ai-the-mathのai、つまり愛がなくなって、
solitary…孤独な自分になった、solitary-the-mathを略したのね…?
でも!aithemathさん!あなたは絶対に、一人なんかじゃないからね!!」

ツキヨが強い口調でそう言うと、aithemathは、初めて心がほどけたような自然な笑みを浮かべ、ツキヨと教授に一礼し、刑事に連れられて研究室から出て行った……。



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