«月夜の名探偵ツキヨさん☆»

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第六話後編(最終話)

 ☆

刑事がaithemathを連行したあと、研究室は虚脱状態になった。

しかしツキヨはハッと気がついて、急いで一人で研究室を飛び出した。

外はすでに薄暗く、夜の気配が近づいていた。

胡難大学を出たツキヨはその足で、あわただしく引越しの支度をしている、Qきちのもとを訪れた。

「Qきちさん、お引越しですか?」

「あら~ツキヨさん!!ええ、主人の転勤が急に決まりまして~~!」

Qきちのハイテンションなどおかまいなしに、ツキヨはなるべく平静に聞こえるよう、感情を抑えて言った。

「Qきちさん、今回怪盗“stm”が盗んだものの中で、一つだけ高価なものがあったんです。」

「まぁ~~!あの訳のわからないものの中に~~?」

「…古民家の、竹でできたいろりの天井棚です。」

「…へぇ~?あんな汚いものが~?
…でもツキヨさん、なぜそれを私に…?」

声だけはハイテンションを保ちながら、Qきちの顔は無表情になっていった。

「いろりで長年いぶされた竹で作る茶杓(ちゃしゃく)は、茶道の世界では珍重されているそうです。
今や材料がなかなか手に入らないので、数百万円で取引きされることもあるそうです。」

Qきちの顔はもはや、能面のように動かなかった。

ツキヨは続けた。

「あの時、Qきちさんは、ゴミに出してあげると言って、あの竹を持って帰ってくださいましたよね。
とっかかりは通常との相違点…。
いつも徒歩でお散歩されているとおっしゃっていたのに、あの時だけ自転車でした。
…あの竹を回収するためだったんですね。」

ツキヨはいったん口を閉じ、ひと呼吸して気持ちを抑え、なるべく冷静に切り出した。

「……真の怪盗“stm”、aithemathさんにメールを送ったXは、あなたですね、Qきちさん!」

能面のように無表情だったQきちは、ニヤリと口元をゆがめ、冷たく鋭い犯罪者の目つきになった。

「さすがですね、ツキヨさん。
私がaithemathさんのメールの相手だと見抜くとは。」

Qきちは、たんたんと話し始めた。
「この街にお宝の竹格子があることを知り、いろいろと調べたのですが、どうも“先月の事件”とやらを解決した方が気になりましてね…
もちろんツキヨさん、あなたのことです。
…かなり苦労して調べた末、あなたの存在を知り、ここでの仕事はやめようかとも思ったのですが…
どうしても、あなたに挑戦してみたくなりましてね…。」

Qきちは、面白がっているかのように見えた。

「バス停であなたが高校生たちを一喝した時、私もaithemathさんも、見ていたんですよ。
でも私は、あなたを食い入るように見つめているaithemathさんの方に、興味を持ったんです。
…これは使えるかも…ってね。
で、そっとあの人についていって、たまたまブログをのぞいたら、案の定、あなたの行動について、書いていたんですよ。…否定するように。自分と違うものを認めまいとするかのように。
…でもそれは、あなたへのアコガレの裏返しだったみたいですよ。メールを交わしていて、よくわかりました。
あの人は、圧倒的な孤独を抱えて悩んでいた。
家庭でも…学校でも…職場でも…。うまく居場所を見つけられず、心を許せる友だちも無く。」

Qきちは、孤独な若者をからかうかのように、眉を上げてまたニヤリと笑った。

「aithemathさんは、心の奥底では、あなたに叱って欲しかったんだと思います。
早く自分を見つけて、止めて欲しかったんだと思います。
あなたと直接話をして、ふれあいたかったんだと思います。」

ツキヨは息をひそめるようにして、ただ聞いていた。

そして、先ほどaithemath本人から聞いた気持ちと大差ないことを言われ、少なからず驚いていた。

すると、気を良くした狡猾な犯罪者は、面白がるように言い放った。

「それで、あなたの目をくらますために、あなたに興味を持ったらしい若者の、
その屈折した気持ちを、…私は利用させていただいた、というわけです。
あなたが正義のためにどこまで動くのか、見届けようじゃないかと、持ちかけたんです。
…心に闇を持つ者は、同類をわけなく見つけることができるんですよ、ツキヨさん。」

ツキヨは、言いようのない怒りがフツフツと湧いて来た。

「Qきちさん、あなたはもしかしたら、心の底まで闇に支配されているのかもしれない。
でも、aithemathさんは違うわ!絶対に闇から抜け出す!
植物を大切にし、“ネットだけが友だち”と言いながら、アナログな“紙に手書き”で“詩”を書いていたのよ!
…ネットのつながりよりも、本当はリアルなつながりを求めていたんじゃないのかしら?」

Qきちは、自嘲するようにフフンと鼻で笑った。

「…そうだったのかもしれません。それが私の唯一の誤算だったのかもね。
…職場で、あなたに直接会っちゃってからあの人、明らかに迷い出して、せっかくのお宝も無傷で盗み出せなくなっちゃったんだもん。」

Qきちは、大げさに肩をすくめて見せた。

「でも、ま、しょうがないかなって、ちょっと思ったのよね…。
孤独をかみしめて生きて来た人に、あなたはまぶしすぎる。あったかすぎる。
…あなたは、人と人とのつながりを、本当に大切にしていらっしゃる。
直接ふれあうと、影響を受けないわけに行かないわ…。」

最後の方はまるで、自分に言い聞かせるようなQきちの口調の変化に、ツキヨはおやっと思った。

Barぢーぞーでの会話を東山に聞かされてから、一度聞いてみたかったことを、ツキヨは思い切ってQきちに聞いてみた。

「Barぢーぞーでははぐらかしていらしたそうですが…、Qきちさんにも、あるんではないですか?…“stm”の意味が…。」

しばしの沈黙のあと、Qきちはふっと息を吐いた。

「よくおわかりになりましたね。…でもツキヨさんはもう、ほとんど見抜いていらっしゃるのでは?」

「何の略かはわかりませんが、……“stm”は、私への挑戦の意味だったんですね?」

ツキヨは、堅い表情で、そう言い切った。

対照的にQきちは、ふとやわらかい表情になり、一言一言大切そうに、ゆっくりと話し始めた。

「本当に…こんなことまであなたにお話することになるとは…。
そう!その通り、あなたに“挑戦”したんです。あなたは予想以上に応えてくれました。
なかなか手強い相手でしたよ、あなたは……ツキヨさん…、」

ツキヨは、Qきちが言おうか言うまいか迷っているように見えたので、黙って待っていた。

ほどなくQきちは、うれしさを隠すことなく、最後の言葉を発した。

「フフッ…やはり最後まで言わされますか!
私の“stm”は……“secret (of) tsukiyo mama”。
“ツキヨお母さんの秘密”…ですよ?“市長直属の名探偵”、ツキヨさん♪」

ツキヨはえっ!と驚き、Qきちは今にも声を上げて笑い出しそうだった。

……そうはならなかったが、Qきちの瞳の奥に、冷たさではない別の何かが覗いたように、ツキヨには思えた。

それまで空を覆っていた雲が切れて、明るい満月が夜空に顔を出した。

輝く月夜の下、名探偵ツキヨは、安堵と不思議な充足感に包まれて、やさしく微笑んだ。

 ☆

竹の天井棚は無事回収され、胡難市の財政に多少なりとも貢献することとなった。

 ☆

「あ~今年の夏休みは、子どもたちとあんまり遊べなかったなぁ~。

ごめんなぁ、イチロウ、ジロウ。」

「しょうがないよ。

おかあさんは名探偵やもん!」

「あっ、ジロウ、名探偵はヒミツやでぇ!」

「ほんなら今日は、どっか行こうか!」

「「ヤッターーー!!」」

「“キッズプラザ”がええ!」

「よ~し!お弁当持って行くでぇーーっ!!」

「ほんまは吉野家の牛丼がええんやけどな~」

「ぼくは月見バーガーが食べてみたい~」

 ☆

まだまだ蒸し暑さは続くものの、時折涼風も混じるようになって来た8月の終わり、胡難市を舞台に起きた奇妙な連続盗難事件は、ひっそりと幕を閉じ、七十五日を待たずに人々の口に“stm”の名前がのぼることはなくなった。

その後、ツキヨの嘆願が効いたのか、aithemathには執行猶予がつき、余罪のあったQきちは、実刑を言い渡された。

今日もツキヨは忙しく飛び回る。

家族に囲まれ、普通の主婦の生活を送る。

しかし……

ひとたび市長からの呼出しメールがあれば、エプロンをはずして、名探偵にヘンシーーン!



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